浅井町文化財・史跡マップ

浅井町の歴史
紀元5~7世紀頃
浅井町は、旧木曽川の支流により交通の要所となっていました。それと共に、近くの宮田(江南市)付近に大型の船の着く重要な船着き場があり、山間地と尾張平野南部を結ぶ中継的な役割を果たしていたと考えられます。
物資の集散地
中央から新しい品々がこの地に運ばれてきたことから、物資の輸送に関する権利(航行権・水利権・物資の分配権等)を掌握した浅井の豪族は、多くの古墳(50基を超える)を作るほどの権力者となったと思われます。
平安時代(9~11世紀)ごろ
歴史書には、京都から信濃善光寺に向かう路線(善光寺街道)に、玉ノ井・浅井・草井がいずれも神社内にあり、尾張三名水として名高いという記述があり、眼病によく効くという伝説も伝わっています。
戦国時代
浅井町河田から木曽川を渡り、岐阜県に至る河田渡船が設けられました。関ヶ原の戦いで、徳川家康が率いる東軍がこの渡船を使って岐阜城を攻略したことはよく知られています。渡船は江戸時代に入っても、一宮三八市へ向かう商人らによって盛んに利用されました。
江戸時代
初代森林平が中国の医書から学んで創製した膏薬(万金膏)が、江戸末期になると全国に知れ渡るようになりました。江戸本場所の力士が万金膏薬を使用するようになったことから、万金膏は相撲膏とも呼ばれるようになり、万金膏の広がりとともに、浅井町の名が広く知られてゆきました。

文化財・史跡マップ
県指定史跡・浅井古墳群

かつてこの地区には数十基の古墳があったが、現在浅井町では「浅井古墳群」として県文化財に史跡指定を受けた5基を見学することが出来る。

直径15mの円墳である。発掘された石棺の模型が当時のまま置かれていて、見学者によく分かるようになっている。

直径3.8mの円墳で、この古墳中最大のものである。かつては堀がめぐらされていて、周りには埴輪が並べられていた。

直径15mの円墳である。以前桃の木が植えてあったことから桃塚と命名されている。

全長32mの前方後円墳である。後円墳の頂に神社が祀られている。
建造物

中国風のおもむきが漂う本堂は、延宝4年9月、中国の僧柏厳師の弟子・天佑が、宗旨の様式に従って建築したものである。(市指定)

門の形式は高麗門で、当門は明治初期に犬山城から移された。城門らしい機能を備え、市内では珍しい存在である。(市指定)

江戸初期の建物で単層入母屋造り。名古屋城三の丸にあった尾張藩の重臣・渡辺半蔵の書院を寺が本堂として譲り受け、明治7年に移築した。(県指定)

1814年に建築された、江戸時代末期の建築様式を備えた豪壮なものである。
市指定 工芸品

寿福寺には、隠元・木庵・即非の3人の僧による額が掲げられている。この3人は黄檗の三筆といわれる名筆家である。
市指定 彫刻

鎌倉末期から室町初期の作。入信上人は親鸞聖人の直弟子の一人で、建長3年、80歳で亡くなった。像は中心部を一木で彫り、力強い表現がされている。

童顔、玉眼、均斉のとれた姿態。衣の表現は安阿弥快慶の阿弥陀如来像の伝統を受け継いでいる。制作は鎌倉時代末期と思われる。

平安時代末期の像である。彫眼の顔はふくよかで優しい。小像ではあるが、肉身全体に量感表現の古い形式を残していて、堂々とした感じを与える。

引き締まり堂々とした量感と品位のある落ち着いた風格は、大像のように感じさせる。室町初期の作であるが、鎌倉風の精巧な技法を残している。

右手に剣、左手に数珠を持つ特殊な姿をした弘法大師像である。鎌倉末期から室町初期に制作と推定される。

この像は聖徳太子が2歳の時の姿で、南無仏太子像という。童顔と豊満ながら引き締まる体の作りから、南北朝時代の作と思われる。

快慶様式の像で、衣の表現は写実的であり、顔は人間的である。像の制作は鎌倉末期である。

長くて美しい眉、伏し目の玉眼や引き締まった頬と下顎。彫り方は鋭く深く明確で力強い。鎌倉末期から室町初期の作品である。
市指定 史跡

永禄年間(1558〜1569)織田信長の召しにより大野伊賀守が尾州若宮地村から移り、築城されたと伝えられる。天正12年(1584)小牧長久手合戦の際は、羽柴秀吉の砦として利用された。

慶長14年(1609)伊奈備前守は、大野字杁先へ一宮の工匠・原田六助に巾二間杁一腹を造らせ杁守を置き、寛永5年(1628)まで大江川に水を引いた。

古来河田の四塚の一つで、葉栗臣人麿、別名・粟本人麿の古墳と伝えられる。7世紀後半ごろ葉栗郡で郡司として活躍し、光明寺を建立した。

天正12年(1284)小牧長久手合戦の時、秀吉が小牧山の徳川軍に対して築城した城砦の一つである。

河田橋下流字中新田にあって、各務原市那加新加納への中街道渡船とも言う。永久3年(1221)鎌倉勢北条義時の一軍が、一宮からここを渡って美濃へ向かった。

貧しく寂しく苦しき中にも志を曲げず、
28年の生涯を終えた小説家・井口唯志は、
大正から昭和にかけて執筆を発表した。
小説・随筆はたぐい稀にみる才能に溢れ、
その文責は今も生きている。
市指定 植物

小塞(おぜき)神社の社叢には常緑広葉、落葉広葉が混生している。植物の自然分布の状態もよく保たれている。

寺の記録によれば樹齢200余年で、根周り3.3m、胸高囲2.5m、高さ10mにもなる。幹の上部や下部から枝が伸びて地面に着く程である。

胸高囲2m、高さ20m、樹齢300年と推定される。一宮市内にも多く植えられ、その中でも本樹は最も雄大である。

ツツジ科。樹齢250年と推定される。4〜5月ごろ白色の可憐な花をつける。秋の紅葉も美しい。

胸高囲2.13m、高さ20mで樹齢約200年。花は大形で美しく白色でやや紅色を帯びている。蜜を多く分泌し花には蜜蜂が群集する。
国指定 天然記念物

明治18年、木曽川堤防一帯に植えられ、昭和2年8月11日国の天然記念物に指定された。エドヒガン・ヤマザクラ・シダレザクラ等の3種類を中心に、約4,000本が植えられている。

敷地の半分以上が池で構成された公園。南東部の小山ではマツとモミジの自然林が形成され、南部にはバラ園も整備されている。昔の木曽川の大きな流れの名残りで、下流は日光川へと続いている。
市指定 無形文化財

石刀神社の祭りで、二層の山車に月・日にちなんで大小の提灯をかざり囃子とともに練り歩く。旧暦6月15日の夜に行われる。明治初年までは川舟形式で、古くからの黒岩祇園祭と言われていた。
